【ビッグサーバーの歴史】
チルデンが1931年に計測した163.6mph(263.3km/h)。
この数値は、長らくギネスブックに載っていたテニスの最速サーブ記録だ。
ビル・チルデンは「キャノン・サーブ」と呼ばれたビッグサーブの持ち主で、
テニス界に大きな業績を残し、20世紀最高の選手の一人と言われている。
また、1930年代にはチルデンを含む複数選手の計測が行われ、
チルデンが128.4mph(206.6km/h)、バインズがそれを上回る130.2mph(209.5km/h)、
そしてステファン(Lester Stoefen)が更に上を行く131.4mph(211.5km/h)を記録したと伝えられている。
しかし、これらのサーブの数値は常々疑わしいと言われてきた。
計測技術の発達してない時代の記録なので無理もない。
この数値の疑わしさは、もっと後の時代になっても続いていった。
例えば1950年代プロテニスで活躍したパンチョ・ゴンザレスは、当時を代表するビッグサーバーだが、
ある記録で130mph(209km/h)のサーブを打ったとされている一方で
別の計測では112mph(180km/h)だったという記録も残されている。
これでは数字のバラツキ加減が目立つばかりであり、記録への信頼度は薄れてしまう。
ごく最近までギネス記録ではチルデンのサーブが最速とされていたが、
チルデンと対戦したことのある選手の話では、チルデンもたしかに速かったものの、
それ以上にロスコー・タナーのサーブほうが速かったという。
タナーも最速220km/hのサーブを打つなどと言われ、ビッグサーブで有名だった。
1978年の計測では153mph(246km/h)を記録したとも言われている。
タナーはクイックモーションによるサーブの生みの親でもあり、サウスポーから放たれるサーブは
かのボルグをして「彼とは戦いたくない」と言わしめたほどだった。
1980年代前半にはスティーブ・デントンという選手がいた。
デントンも1981年と1984年には138mph(222km/h)を計測したなどといわれ、
ドシンという重量感のあるサーブを打つ選手だった。
他にも、そのあまりの威力に打ったボールが焦げていたという逸話が残されているエリック・コリタ、
2メートルに届こうかという長身から爆撃機とあだ名されるサーブを打ったチップ・フーパー、
1986年のウィンブルドンでベスト4に進み、同年ダブルスランク1位のスロボダン・ジボイノビッチなどは
いずれも世界最速と噂されるビッグサーバーであった。
しかし、やはりビッグサーブといえばボリス・ベッカーであろう。
ベッカーのビッグサーブは「ブンブンサーブ」と呼ばれ、その速度は240km/hとも250km/hとも言われた。
生きながらにして伝説となった感のあるベッカーのブンブンサーブだったが、
実際にはチルデンやタナーと同様、正式に計測されたものではなかった。
この大きな数字は、チルデン位は出てるはずだという、イメージからつけられたものだった。
【サーブ速度計測開始】
ATPで、試合中にサーブの速度が正式に記録されるようになったのは1991年からである。
意外と最近のことだ。それ以前にもサーブの計測はされていたが、全て非公式であり、
測定値も大会ごとに随分違った。例えばセイコースーパーテニスでは、
レンドルやイバニセビッチのサーブは220km/hなどと計測されたが、
別の大会では180km/h程度だったりもした。
大会内の相対的な比較ならば参考になりえたが、実測としては参考にならなかった。
1990年代前半、正式な計測が開始された頃、200km/hという数字は滅多に出なかった。
ベッカー、サンプラス、イバニセビッチなどでもだ。
ただ、それでもたまに、200km/h以上がポコポコ出る大会もあったので、
最初の頃は計測方法にバラツキがあったのかもしれない。
90年代後半になると、ようやく安定してくる。
サンプラス、イバニセビッチの記録上の最速は共に138mph(222.1km/h)である。
90年代前半に200km/hがやっとだった2人だが、かなりのスピードアップを果たしている。
ラケットやボールなど道具の進化、計測器の問題、選手個人のレベルアップ等
理由は色々考えられるが、概ね時代に合わせて変化したのだと見るのが自然だろう。
【ブンブンサーブは250キロ?】
1990年代前半、どんな選手も最速はほぼ200km/hだった。ベッカーも例外ではない。
かつて240km/hとも250km/hとも言われたブンブンサーブ像とはかけ離れている。
現在もベッカー人気は根強く、その伝説を擁護する声は大きい。
1985年デビュー当時は本当に240km/h出ていたのだとする説さえある。
しかし、わずか5、6年で240km/hから200km/hへのダウンなどあり得るだろうか。
ダウンの比率で言うと、200km/hから165km/hほどになったことになり、
これでは男子から女子へのサーブの変化である。本当だとすればその衰えぶりのほうが問題だ。
一般に、筋力のピークは25-30歳位だと言える。
ベッカーは1967年生まれなので、まだ24歳であった1991年に遅くなってたとは考えにくい。
やはり250km/hという数字は伝説が生みだしたもなのだと見るのが自然だろう。
1991年以降ベッカーの計測上最速は212km/hだという。
(出どころのソースが現在リンク切れで詳細は不明。もしかしたらある大会での最高速かもしれない)
多少の前後はあれ、この位の数値が案外正しいのではないだろうか。
前述のサンプラスやイバニセビッチの最速とは10km/hほどの差がある。しかし、
ラケットが飛躍的進化を遂げた90年代半ばから後半にかけて彼らはピークを迎えたが、
ベッカーはピークを過ぎていた。この辺の状況も考慮に入れるべきでは無いだろうか。
その後、ロディックやルゼドゥスキーが更に速いサーブを記録する。
しかし、時代のあり方を考えずに実測のみで比較しては正当な評価はできない。
もしも今、ベッカーがいたら、あるいは20年前にロディックがいたらといった推論で答えは永久に出ないが、
時代を先取りしたベッカーのビッグサーブの価値は不変であるといえるだろう。
【ちなみにレンドルは】
当サイトの主役であるレンドルもビッグサーブで知られた選手だ。
80年代後半には最強サーバーの座をベッカーと分けあっていた。
ベッカーの重いサーブは見てるだけで威力充分で印象が特に強かったが、
前述のように実際の最高速度は200km/h強であったと考えていいだろう。
80年代後半には各大会でそれぞれに速度計がつけられていたが、
それによれば、レンドルとベッカーが計測する最高速度に大きな差はなかった※。
もっともレンドルのサーブは、コースを狙ったりスピンをかけたりと多彩な組み立てが特徴だった。
そのため、最速サーブを打つ機会はベッカーほど多くなく、平均速度は大きく違っていた。
常に全力で打ってたベッカーのほうがビッグサーブの印象が強いのもうなずける。
同じスピードでも、重さはベッカーのほうが上だっただろう。
90年代に入るとレンドルは極端にペース配分を行うようになった。
「どの試合でも第1セットは6割の力しか出さない。」とレンドル本人も言い切っている。
ビッグサーブを見せる機会は更に減ったことになる。最速でも190km/h前後が多かった。
しかし、それでも稀に、ウィンブルドンなどいくつかの大会で200km/h程度を計測していたから、
レンドルの最速も200km/h前後だったと見ていいだろう。
※1985年セイコースーパー準決勝では50km/hほどの差があったとの情報がある。
レンドルの200km/hに対してベッカーが250km/hとのこと。
またレンドルは次の決勝で230km/hを打ったとの情報もある。
ただし当時の同大会の計測は非常に不安定であったことは常々指摘されており、
ある選手のネットに当たったセカンドサーブが220km/hを計測したこともあったようだ。
【90年代、ビッグサーバーの時代】
ベッカーから派生したビッグサーブは1990年代に全盛期を迎える。
とにかくほとんどの選手がビッグサーバーだった。
日本の松岡修造が活躍できたのもこの時代に合わせたスタイルだったからだと言える。
その中で何人かを挙げてみると。
まずはなんと言ってもサンプラスだ。このタイプの完成形とさえ言える。
スピードはもちろんだが、コース、球種、組み立て、といずれも素晴らしかった。
また、他の選手とは決定的に違い、完成されたセカンドサーブも持っていた。
こちらも、スピード、コース、球種、と全てが備わっていて、
ベッカーのギャンブル的なセカンドサーブと違い、セカンドサーブとして完成されたものだった。
これほどのサーブを持ちながら、サーブ後のボレーやストロークをしっかりと意識しており、
「サーブからの一連の攻撃力」という総合評価において史上最高のサーバーだったと言える。
タイプ的にはレンドルのサーブに近いが、ベッカーやエドバーグなどの要素も併せ持つ、
より完成されたサーバーだったといえる。
イバニセビッチ
計測上の最速はサンプラスと同じ138mph(222.1km/h)だが、平均速度ではずっと上だった。
常にエースを狙いに行くスタイルはベッカータイプと言えるが、コースが遥かに広角で球種も多かった。
サーブからの総合攻撃力ではサンプラスが最高かもしれないが、話をサーブのみに特化し、
ことエースを取るという点においては、イバニセビッチこそが最高のサーバーだった。
現在、より速いサーバーは存在するが、エースを取る技術でイバニセビッチを凌ぐ選手はいない。
イバニセビッチはセカンドサーブでもエースの山を築く選手だった。
セカンドサーブの平均速度は、他者に抜きん出て速かったサンプラスよりも更に速かった。
エースを取るため、ファーストサーブもセカンドサーブも極めた選手だったと言える。
ただ、球そのものは、ベッカー、サンプラスよりも軽かった。
シュティッヒ
タイプ的にはこの中で最もオーソドックスだと言える。
ネットプレーへの依存度がより高かった選手なので、
サンプラス以上に次のボレーに繋げるサーブを打っていた。
しかし、スピードそのものはむしろ1番速かったかもしれない。
90年代前半に210km/hを計測した選手というのはシュティッヒ、ロセ等数えるほどしかいない。
因みにイバニセビッチは、最高のサーバーとしてシュティッヒの名を挙げている。
【行き過ぎたビッグサーブの時代】
ビッグサーバーは、リターンを返されることがない。返ってきても、やっとの球だったりする。
それを簡単に処理するにはネットダッシュが有効だった。自然とサーブアンドボレーになる。
また、上背やパワーのある選手が多く、ストロークも強烈だった。
そのためいずれの選手もオールラウンドプレイヤーと言われた。
上に挙げた何人かはたしかにそれでいい。
しかし大半の選手はオールラウンドと言うにはネットもストロークも微妙だった。
ただサーブが強い。それだけの選手が多く、またそれでいい時代だった。
1991年全米「ラセクvsロスターニョ」の試合はその顕著な例だ。
この試合は、ただお互いがサービスエースを決め続けるだけの試合だった。
当然全てのセットでタイブレークに突入し、そこでダブルフォルトしたほうがセットを落とした。
ラセクもロスターニョも当時の基準では決して最速のサーバーではなかったが、
それでもこのような試合になった。サーブが全てだった時代を良く表している。
リターンやパスの技術がサーブの進化に追いつかなかったのだ。
男子テニス界はサーブだけで決まる試合が続き、面白くなくなった。
この時期にテニス離れをした人も多いのではないかと思う。
この中にあって、チャンやアガシがどれほど貴重だったか!!
90年代には更に凄いビッグサーバーが続々登場する。
クライチェク、フィリポーシス、ルゼドゥスキー、ロセ、アーサーズなど。
中でもクライチェク、フィリポーシスはランキング1位候補と言われた選手だ。
またルゼドゥスキーは前人未到の149mph(239.7km/h)を記録した。
ビッグサーブの歴史もここに極まった感があったが、
実際には1990年代、サンプラス以降ランキング1位になったビッグサーバーはいなかった。
リターンの技術が向上し、サーブだけでは勝てなくなってきたのだ。
【21世紀になって】
21世紀に入るとサーブのスピードは更に加速する。
140mph(225.3km/h)を計測する選手もどんどん登場した。
ロディック、サフィン、ヨアヒム・ヨハンソン、テイラー・デント、etc.
しかし、サーブアンドボレーの選手はほとんどいなくなった。
上記ではデントがネットプレイヤーだが、ランキングは低い。
サーブだけで勝てる時代は完全に過去のものとなった。
サンプラス以降、最初にランキング1位となったビッグサーバーはサフィンだ。
サフィンも140mph以上を記録していて、新世代のビッグサーバーの一人だと言える。
しかし、その最大の特徴は、サーブではなくてストロークだ。
2000年全米決勝でサンプラスを完全に打ち負かした時、
最も衝撃を与えたショットは、サーブではなくその強烈なバックハンドだった。
ビッグサーバーでありながら、サンプラスのサーブ以上のリターンを打つ選手が登場した瞬間だった。
その後1位を経験するアンディ・ロディックは、史上最速のサーバーとして一躍脚光を浴びた。
2004年に記録した155mph(249.4km/h)は、かつてのチルデンの数字に代わりギネス記録となった。
実測として250km/hが現実のものになったのだ。※この記録は後にカルロビッチによって更新された(後述)
そしてロディックも、これだけのサーブをもちながら、ストロークを武器としている選手だ。
リターン、強烈なフォア、粘り、フルセットになってもあきらめない精神力。
決してサーブだけの選手ではないからこそ、現代テニスでトップに上り詰めることができたのである。
かつて、球が速いだけで完結していた男子テニス界だが、
近年は更なるスピードアップが測られながらも、技術面も大きく向上している。
ようやく、テニス本来の面白さを取り戻したと言えるだろう。
その後ビッグサーブの勢いは衰えを見せ始める。
しかしそんな中で、ただひたすらサーブだけで名を上げる更に凄腕の選手が登場した。
【2007年のカルロビッチの記録】
2000年代も半ばを過ぎるとテニス界におけるビッグサーブの重要度は低下したかに思えた。
しかし2007年のカルロビッチの記録はそれを再び思い起こさせるものであった。
この年カルロビッチは64試合に出場し、1318本のエースを記録した。
歴代の年間サービスエース1000本達成は以下のようになっている。
年 | 名前 | 本数 | 試合平均 |
1993年 | サンプラス | 1,011 | 10.8 |
1994年 | イバニセビッチ | 1,169 | 13.8 |
1996年 | イバニセビッチ | 1,477 | 15.4 |
1997年 | イバニセビッチ | 1,048 | 14.8 |
1998年 | イバニセビッチ | 1,065 | 15.0 |
2004年 | ロディック | 1,019 | 12.5 |
2007年 | カルロビッチ | 1,318 | 20.6 |
2010年 | イズナー | 1,048 | 16.9 |
※サービスエース数は1991年から記録されるようになった。
上記リストも1991年以降の記録となっている。
それ以前の数字は残されていないが、テニススタイルを考えれば
1000本が達成されていた可能性は低いように思われる。
総数では、イバニセビッチの持つ1996年の1477本というのが最高記録であり
カルロビッチはこれに届かず2位となった。
しかし1試合平均の数値ではイバニセビッチを遥かに凌駕する記録を残した。
平均20本というのは凄まじい。
カルロビッチはそれまでもサーブに定評があったが、
いかんせんランクが低く試合数の少ないのが問題だった。
しかし2007年はそれまでで最高の成績を収めることにより
自らのキャリアにおけるベストシーズンとするだけでなく、
テニス界において再びサーブに脚光を当てることに成功したのだった。
またこの年はカルロビッチの他にも
抜きん出たサーブ力を見せた若い選手が何人か登場しており
今後のテニス界におけるビッグサーバーの位置づけに再び注目が集まる結果となっている。
※ブログのほうでカルロビッチのタイブレークについて取り上げているのでそちらも合わせてご参照を。
タイブレークはビッグサーバーと密接な関係にあり、カルロビッチについても面白いデータが取れている。
2008/7/15のブログ記事
《2011年、最速記録の更新》
2011年3月、カルロビッチはロディックの記録を塗り替える最速サーブを叩き出した。
その速度は実に156mph (251.06km/h)という破壊的なものだ。
遂に250km/hが人類の手で計測されたことになる。
カルロビッチは多く勝たない選手であるがゆえに、
これまでも計測されない幻の高速サーブデータがあっただろうと予想されていた。
しかし2007年のエース本数、そしてこの最速記録をもって、名実ともに歴史上最速サーバーの名を手にしたといっていいだろう。
【2010年のイズナーの記録】
2010年のウィンブルドン1回戦でとてつもない記録が生まれた。
イズナーvsマウーは、3日間決着がつかず、述べ11時間5分というテニス史上最長の試合になった。
スコアは「6-4 3-6 6-7 7-6 70-68」というものだった。
このような試合であるからエースの数も凄まじく、イズナーは112本、マウーは103本を記録した。
これはもちろん1試合最多エースの記録を優に塗り替えるものだった。
それまでの1試合最多はカルロビッチの78本であったから、どれほど凄い記録の塗り替え方であるかがわかる。
もちろんカルロビッチも充分凄いもので、その時は結構なニュースになったほどだ。
それより前の最多は同じくカルロビッチの55本だったからそれを大幅に上回っていたのである。
しかしイズナーとマウーの新記録は桁が違ったのであった。
イズナーは、この年1048本のエースを記録したが、実にその1割を僅か1試合で記録したことになる。
2010年現在、まだランキング上位にビッグサーバーが並んでいるわけではないが、その復権も近づいてきているのかもしれない。
《1試合のサービスエース記録》
No | 本数 | 名前 | 勝敗 | 相手 | 大会 | コート |
1 | 112 | イズナー | ○ | マウー | 2010年 ウィンブルドン | グラス |
2 | 103 | マウー | × | イズナー | 2010年 ウィンブルドン | グラス |
3 | 78 | カルロビッチ | × | ステパネク | 2009年 デビスカップ | クレー |
4 | 55 | カルロビッチ | × | ヒューイット | 2009年 全仏オープン | クレー |
5 | 51 | カルロビッチ | × | ブラッチャーリ | 2005年 ウィンブルドン | グラス |
| 51 | J・ヨハンソン | × | アガシ | 2005年 全豪オープン | ハード |
7 | 50 | フェデラー | ○ | ロディック | 2009年 ウィンブルドン | グラス |
8 | 49 | クライチェク | × | カフェルニコフ | 1999年 全米オープン | ハード |
9 | 48 | カルロビッチ | × | ドディッグ | 2011年 全豪オープン | ハード |
10 | 47 | クエルテン | × | ネスター | 2003年 デビスカップ | カーペット |
| 47 | カルロビッチ | ○ | J・ブレーク | 2009年 デビスカップ | クレー |
※年間の表と同じく1991年以降の記録である。
それ以前にこれよりも多いサービスエースが記録されたとは考えにくいが
はるか以前はタイブレークがなかったので、もしかしたら凄い記録が存在するかもしれない。
また、表のほとんどが5セットマッチをフルに戦っての記録だが、
5位タイのヨハンソンのみ4セットでの記録となっている。
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