《イワン・レンドル》

1960年3月7日、旧チェコスロバキアのオストラヴァに生まれる
1978年プロ転向
1992年にアメリカ市民権を得る
1994年引退

タイトル獲得数:94
グランドスラム獲得数:8
ランキング1位:270週

【チェコ人レンドル、アメリカ人レンドル】はこちら


《プレースタイル》

サーブ:

レンドルのサーブは強力な武器の一つ。
威力で押すというよりも、スピードとコースでエースの山を築いていくタイプ。
特にセンター方向への速いサーブと、相手のフォア側に切れていくスライスサーブが武器。
また、多彩なスピンを持っていたのでエースを狙わずにコースを重視した組み立てをすることも多かった。
セカンドサーブは、スピンを使って丁寧に打っていくことが多かったが、
時には速いスライスサーブでエースを狙うこともあった。
高く上げるトスが特徴的で、フォームも綺麗だった。
しかし、綺麗すぎるフォームはリターン側にとってタイミングが取りやすいという弱点も抱えている。
レンドルはスピードでエースを取るか、豊富な球種で狙い球を絞らせないことでそれをカバーしていた。

《サンプル動画》
 センター方向へのサーブ(1984年 USオープン vsキャッシュ)
 ワイド方向へのサーブ(1990年 クイーンズ vsマッケンロー)

 意表をつくサーブ(1982年 ダラス vsマッケンロー)
 ちなみにこっちのやられたほう(1989年 フレンチ vsチャン)も有名だ。(※現在リンク切れ)



フォアハンド:

強烈なフォアハンドは現代テニスには欠かすことの出来ない武器だが、その元祖がレンドルだと言っていい。
ひじ先行のテイクバックでラケットヘッドを加速させ、手首と腕のしなりを使ってムチのようにボールを叩く。
打点が高いのでトップスピンがかかっていても弾道が山なりになることがない。
ただのフラット系のショットよりも重く速い球が打てることになる。
こうして打たれたボールは、強いだけでなく非常に深くコントロールされたものだった。
そして、もう一つ特徴といえば、威力だけでなく組み立ても抜群だったことがあげられるだろう。
フォアの逆クロスは、現在では当たり前のように誰もが打っているショットだが、
これを組み立ての中心として最初に利用した選手がレンドルだった。
むしろ、このストロークの組み立てこそがレンドルを代表するプレーなのかもしれない。
現在レンドル以上に強いショットを打てる選手はいるが、組み立てに関しては未だ比類無しだと言えるからだ。
特にハードヒッターと対戦したときには、強打での応戦、深い球でペースを握らせない配分、
意表をついたドロップショットなど様々なストロークテクニックが飛び出して興奮させられた。

《レンドルフック》
 いわゆるストレート方向へのランニングショットである。
 ボールに外から内への回転とトップスピンとを同時にかける。走りながらこすりあげるように打つのだ。
 打たれた球は、コートの外から巻いて入ってエンドラインにストンと落ちる絶妙のショットとなる。
 軌道は一瞬アウトに見え、しかもスピードも速いので相手は飛びつくこともできず、ただ見送るしかない。
 ハードヒットトップスピン精度を兼ね備えたレンドルならではの必殺技である。

《サンプル動画》
 レンドルフック1(1984年 USオープン vsキャッシュ)
 レンドルフック2(1989年 マスターズ vsエドバーグ)

 ネットで見つけた更に凄いレンドルフックブログでも紹介)
  その1(1991年 ロングアイランド vsマッケンロー)
  その2(1992年 ニューヘブン vsエドバーグ)

 逆クロスへのパス(1985年 USオープン vsマッケンロー)
 クロスへのランニングパス(1987年 全仏オープン vsビランデル)



バックハンド(トップスピン):

レンドルは片手打ちバックハンドを極限まで進化させた選手。
後ろ足を深く折り曲げ、体の前でボールを捉えるショットは強烈で、
フルスイングすればフォアと変わらない威力を持っていた。
振り切ったラケットは前に押し出すというよりも上に振り上げるといった感じでフォームも非常にかっこいい
特に低めのショットが強烈で、ストレート方向へのパスが最高のウィニングショットだった。
また、ラケット準備ができていない急なボールへの対応の場合、
一般に片手打ちではオープンスタンスで打つのが難しいためスライスで切り抜ける事になるのだが、
レンドルの場合は右足を空中に折り曲げ、スキップのような態勢で横向きの体を作り、
そのままラケットを振り上げるという他の選手にはない打ち方をマスターしていた。※1
片手打ちは、両手打ちに比べてリーチが長いので、低い球や遠くの球を打つのには有効だが、
高い球や体近くの球を打つのには向いていないといわれる。
しかしレンドルは、この独特の打ち方で片手打ちの欠点を完全に補っていたといえる。

※1 右足を跳ね上げるバックハンドの画像

名無氏より画像を提供いただきました。ありがとうございます。

提供いただいた画像は連続写真になっており、その詳細はブログ内にて取り上げているので是非ご参照を。
ブログ内【レンドルのバックハンド画像】


《サンプル動画》
 バックの強打クロスへ(1985年 USオープン vsマッケンロー)
 バックの強打ストレート(1985年 USオープン vsマッケンロー)

 片手打ちにとっては高難度のハイボールの処理(1987年 全仏オープン vsビランデル)



バックハンド(スライス):

知られていないレンドルの得意ショットの一つにバックハンドのスライスがある。
このショットも例に漏れずコントロールが素晴らしく、ストローク戦では非常に深く決まっていた。
特に後年は使用頻度が増え、相手がネットに出てきたときに、
ネットの上すれすれを通過して足元に落とすという絶妙なコントロールショットとして使っていた。
レンドルのようにスライスをパッシングショットとしても使いこなしてしまった選手は他にいないだろう。
レンドルのスライスは、コントロールを重視した結果、
体重をあまりかけない打ち方になっており、重さは左程でもなかった。
しかし逆に、対比としての強力なトップスピンがあったので効果的なショットと成り得ていたといえるだろう。

《サンプル動画》
 リターン、つなぎの球、パスの全てをスライスだけでまかなったショット(1986年 USオープン vsエドバーグ)
 ネットすれすれに落とす味なリターン(1987年 全仏オープン vsビランデル)
 針の穴を付くスライスのパス(1988年 マスターズ vsベッカー)



リターン:

レンドルコナーズアガシと並び史上最高のサービスリターンを持つ選手だ。
コナーズは、まず読みが鋭く、そしてリターンそのものも、届いただけのような打ち方で
何故か相手コートにギリギリ返っているというような天才的ものであった。
返球に関しては最高だが、威力の面では他の二人ほどではないといえる。
一方、威力で言えば、アガシコナーズレンドルよりも上で、
どんな球でも届いてしまえばハードヒットで返すという究極のカウンターリターンを持っている。
ただし、あまりリーチのある選手ではなく、また、生半可に届いただけでも意味が無いので、
ある程度ギャンブル的に当りをつけてのリターンとなる。
その反動としてサービスエースを食らうことも非常に多かった。
レンドルはこの二人の中間に位置する。チャンスボールをハードヒットするだけなら威力は最高だ。
ただ、どんな球でも強打で返すというアガシタイプのリターンではない。
特にバックハンドは片手打ちなのでカウンターショットに関しては分が悪い。
相手サーブに威力があって、強打での返球が困難な場面では、
ブロックリターンに切り換え、絶妙のコントロールで応対した。
状況に応じてショットを使い分ける器用さと多彩さが特徴だと言えるだろう。

《サンプル動画》
 バックの強打のリターン(1987年 全仏オープン vsビランデル)
 バックの合わせるリターン(1990年 クイーンズ vsベッカー)
 フォアの強打のリターン(1985年 全米オープン vsマッケンロー)
 フォアの合わせるリターン(1991年 フィラデルフィア vsサンプラス)



ネットプレー:

レンドルの弱点をあげるならばそれはネットプレーであろう。しばしば言われてきたことである。
しかしこれは、ウィンブルドン優勝を狙う世界一の選手としては、という前提での評価であることはもちろんだ。
全く駄目であるかのように評する記事も見かけるが、それは事実でない。特に後年はしっかりとものにしていた。
レンドルは、芝生のコートではサーブ&ボレーにガラリとスタイルを変えてプレーをした。
ネットダッシュの頻度を増やしたわけではなく、スタイルそのものを変えていたのだ。
そしてスタイルを変えたレンドルが全く勝てなかったかというとそうでもなく、充分に戦っていた。
しかもかなり優秀な成績である(詳細は【コート別勝率】を参照)。
コートによってプレースタイルを変える選手が他にいなかったわけではない。
特に芝生ではネットプレーに切り替えるストローカーは何人か存在した。
しかし、レンドルほど勝つことのできた選手はいなかった。
では実際にレンドルのボレーはどういう感じだったかというと、
速い球に対する反応と、フォアのローボレーがダメだったといえる。
これらのショットでは簡単にミスをしたし、横っ飛びでも何でもして球を拾おうといった気概もいまいち感じられなかった。
一方で、スマッシュハイバックボレードロップボレーを使いこなし、ハーフボレーに関してはむしろ巧かった。
わずかでも地面につけばボレーでなくストロークになるからだろうかと見てて苦笑した覚えもある。

《サンプル動画》
 クレーコートでしばしば見せたリターンダッシュ(1987年 全仏オープン vsビランデル)
 ネットプレーをものにした後のボレー(1990年 クイーンズ vsマッケンロー)


《ドライブボレー》
 レンドルのしびれるショットの最たるもの。
 ドライブボレーというのはノーバウンドでダイレクトにボールを叩くパワーテニスの象徴とも言うべきショット。
 ただ両手打ちの場合はスイングが安定するので比較的簡単なショットであり、わりと以前から使われていた。
 しかし打点も体の近くになるのでその分豪快さはなくなる。
 やはり片手で打ってこそのドライブボレーだ。
 基本はフォアハンドで、速い振りぬきとボールを点で捉える高い技術が必要となる。
 ラケットの進化により最近はよく見かけるショットとなってきたが、当時は一部の選手しか使えない大技だった。
 もう一つ。片手打ちバックハンドのドライブボレーというのがある。
 これはフォアのドライブボレー以上に未だに目にする機会の少ないショットだ。
 バックハンドは効果的にスライスが使えるのでわざわざドライブにする意味があまりないのかもしれない。
 しかし、こういうのを敢えて持ち出してこそ真のパワーテニスと言えるだろう。
 レンドルはこれらを常用した最初の選手といえるかもしれない。

《サンプル動画》
 フォアのドライブボレー(1987年 全仏オープン vsビランデル)
 バックのドライブボレー(1985年 全米オープン vsマッケンロー)



フットワーク:

足の速い選手だ。最速というのではなく10段階で言えば8といった感じ。
ストローク戦では、追いつけずにポイントを取られるというようなことは無かったし、
前方へのダッシュ力でもフットワークを見せ付けることができた。
特徴である高い打点でのストロークを効果的にするため、
ストローク戦でのレンドルの定位置はベースラインの後ろだった。
この位置でストロークを打つ選手は少ない。簡単にドロップショットの餌食になるからだ。
しかしレンドルは、深い球で相手に自由な球を打たせないという点と、
例え打たれても瞬時にダッシュして球を拾えるというスピードでそれを可能にしていた。
ただし、サービスダッシュにおいては、前に出るスピードはいまいち速く感じられなかった。
ボレーに対して必要以上に慎重になっていたからかもしれない。

《サンプル動画》
 フットワーク前後(1985年 マスターズ vsベッカー)
 フットワーク左右(1988年 マスターズ vsベッカー)





《進化し続けたチャンピオン》

レンドルは、プレースタイルにおいて進化し続けた選手だといえる。
30を過ぎても新しい技術の習得を目指した選手はテニス界では珍しい。
1990年代、レンドル晩年のことだが、当時の流行からすると
レンドルのストロークは振り回す動作が大きく、速い球に対する適正がないとされた。
名コーチ、ボブ・ブレッドはレンドルのストロークは過去の打ち方であると評価した。
しかし、わずか一年後にボブ・ブレッドはその評価を覆す。
レンドルは一年でコンパクトなライジングショットをマスターし、実戦で使いこなしたのだ。
そしてボブ・ブレッドは、老いて尚新しい技術の習得を怠らないレンドルのプロ意識に賛辞を与えたのだった。
これは一例に過ぎない。
他にも、ハードヒット一辺倒だったレンドルは、
当時最強であったマッケンローへの対策としてトップスピンロブを覚え、対戦成績を優位にさせた。
また、若い頃はストレート方向へのショットがほとんどだったが、
それが読まれていることがわかるとクロスへのショットを極めてパスの名手となった。
芝生コートの対策としてネットプレーにスタイルチェンジしたのは前述の通りだが、
それ以外に、バックハンドスライスを覚えたのも芝対策だった。
キャリア初期にもバックハンドスライスを使ってはいたが、
あそこまで磨きをかけたのはウィンブルドンで勝ちたくて仕方なくなってからだ。
ボレー、スライス、コンパクトなハードヒットなど、多彩なテクニックが身についた頃には
極端にペース配分するようになっていて、かつての強打が鳴りをひそめたのが残念だ。
それだけに、時に出るハードヒットを見るのが楽しみでもあったのだが。





《精神面》

レンドルの弱点といわれた部分。
まず、なんといってもグランドスラムに勝てなかったこと。
8度の優勝があるが、それでも敢えて勝てなかったと言いたい。
グランドスラムで同じくらいの回数優勝している選手は他にいるが、
それらの選手とトータルキャリアを比べてみればレンドルの8度というのは明らかに少ない。
決勝進出回数は19度である。これは歴代1位で見事な数字だが、
これはすなわち決勝で11度敗戦していることになり、名誉とはいえない。
特に最初に優勝するまでが長かった。4度決勝に進出するもいずれも敗退、5度目でやっと優勝できた。
当時言われた「チキン・ハート」というあだ名もこれでは否定できない。
では、レンドルは精神的に弱く、決勝で全く勝てない選手だったのかと言うとそうではない。
たしかにキャリア初期はそういう面があったわけだが、
後年になるとピンチの場面では必ずサービスエースやパッシングといった得意のショットを決めていたし、
生涯の決勝での勝率も6割を超えていて、これは多くの選手よりも上の数字であった。
他にも、精神的な要因が大きく左右するタイブレークでのレンドルの戦績は見事なものだ。
【その他データ集】参照)
このような全盛期の強さを考えれば、レンドルは精神的にも進化していった選手だったといえるだろう。





《サンプル動画おまけ》
 ベッカーのダイビングボレーとレンドルのパスという最高の組み合わせ(1989年 全米オープン vsベッカー)
 マッケンローの体正面へ(見どころは1:00あたりから)


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