【歴史的選手の年間成績】
ATPランキング制度が導入されたのは1973年だが、それ以前の記録には不明な点が多い。
多くの大会が行われていたことは事実だが、正式な記録としては残っていない。
しかし、伝承としていくつかの記録が残っているのも事実である。
例えば1969年のロッド・レーバーは、
ATPの記録では8大会に出場し5大会で優勝したことになっている。
しかし別の文献によれば、レーバーはこの年32大会に出場し17大会で優勝したとされている。
大きな差だが、出場大会のほとんどがATPの管理下に無いエキシビジョンであったということになる。
当サイトで取り上げる記録はあくまでも正式記録であるが、正式でないからといって取り上げないのでは勿体無い。
ここでは、そのような歴史に隠された伝説上の記録を取り上げてみたいと思う。
※ここで年間成績として残されている記録の多くはアマチュア大会のものである。
アマチュア大会とプロ大会については【テニス史を巡る】、【テニス史を巡る〜補遺〜】を参照。
また、近年の選手の【年間成績】も合わせて参考にされたい。
【レーバー等】
《ロッド・レーバー(Rod Laver)》
1962年:34大会出場、19大会優勝、134勝15敗(89.93%)
1969年:32大会出場、17大会優勝、106勝16敗(86.18%)
レーバーが年間グランドスラムを達成した年のそれぞれの年間成績である。
勝利数、優勝数共に素晴らしく、いずれも現在の最高成績を上回っている。
比較的負けも多く、不敗であったわけではなかったこともわかるが、
これだけの大会をこなしている上での数値であることは認めるべきであろう。
史上最強選手としてレーバーの名前が常に挙がるのも納得といえる。
《イリー・ナスターゼ(Ilie Nastase)》
1973年:31大会出場、15大会優勝、118勝17敗(87.40%)
ATPの記録では1973年のナスターゼは14大会で優勝、114勝17敗という成績である。
僅かの差は、どこかのエキシビジョン大会を含んでの数字だからだろうか。
《ロイ・エマーソン(Roy Emerson)》
1964年:17大会優勝、109勝6敗(94.78%)
1960年代アマ最強選手であったエマーソンの見事な数字。
レーバー、ローズウォールを始め、多くの選手がプロに転向していた時期に活躍したこともあり、
いまいち評価されることのないエマーソンだが、この立派な数値を見せられると
この時期に他の選手と戦っていても決して劣ることは無かったのではないかと感じさせる。
またエマーソンはこの年、55連勝という物凄い記録も打ち立てている。
【1950年代】
1950年代にはグランドスラムを年間に3つ獲得した選手が3人登場した。
1955年のトレイバート、1956年のホード、1958年のクーパーである。
3人のそれぞれの年の年間成績を見てみよう。
《トニー・トレイバート(Tony Trabert)》
1955年:18大会優勝(10大会連続を含む)、106勝7敗(93.81%) ※一説には105勝4敗(96.33%)とも
《ルー・ホード(Lew Hoad)》
1956年:26大会出場、15大会優勝、95勝11敗(89.62%)
《アシュリー・クーパー(Ashley Cooper)》
1958年:25勝1敗(96.15%)
クーパーの試合数の少なさが気になる。クーパーはこの後にプロ入りしたのだが、
プロ入り後の消息も不明なのでどの程度の選手だったのかを判断するのが難しい。
※2007/4/12追加。
このクーパーの成績はグランドスラムでのものであることが判明。
その他の大会にも出ていたと思われるがいずれにしろ詳細は不明。
この時期の選手としてはセッジマンとローズウォールの成績が確認できなかったが残念だ。
【戦前の選手の年間成績】
《ジャック・クレイマー(Jack Kramer)》
1947年:9大会出場、8大会優勝、48勝1敗(97.95%)
クレイマーはこの翌年にはプロに転向するが、アマチュアのキャリアを41連勝で終了させることになった。
プロ入り後もクレイマーは実に強力で、主要選手にほとんど勝ち越していた。
vsリグス 69勝20敗
vsパンチョ・ゴンザレス 96勝27敗
vsパンチョ・セグラ 64勝28敗
vsセッジマン 54勝41敗
《パンチョ・セグラ(Pancho Segura)》
1943年:10大会出場、7大会優勝
また、1943-45年の3年間では、30大会出場、15大会優勝、107勝15敗(87.70%)
クレイマー、セグラについては【パンチョ・ゴンザレス最強説】も参照のこと。
《ボビー・リグス(Bobby Riggs)》
1939年:13大会出場、9大会優勝、54勝5敗(91.52%)
《ドン・バッジ(Don Budge)》
1938年:8大会出場、6大会優勝、43勝2敗(95.56%)
史上初の年間グランドスラム達成時の成績。
詳細は不明だが、この年のバッジは出場可能な大会が8大会までに制限されていたという。
そしてバッジには、前年の1月から続いた信じがたいような記録がある。
それは実に92連勝、14大会連続優勝というものだ。
その後プロ入りしたバッジは、プロテニス界でも主要選手を相手に見事な成績を収めることになる。
vsリグス 52勝18敗(戦前)
vsペリー 18勝11敗(1939年)
vsバインズ 21勝18敗(1939年)
vsチルデン 51勝7敗(1939年)(但しチルデンは46歳であった)
フレッド・ペリーのアマチュア時代の年間成績は残念ながら確認できなかった。
《ジャック・クロフォード(Jack Crawford)》
1933年:16大会優勝
戦前としては異例の大会数といえる。
《エルスワース・バインズ(Ellsworth Vines)》
1932年:8大会出場、4大会優勝、46勝5敗(90.20%)
最初期のプロ選手としてのほうが有名なバインズだが、アマ時代にも活躍していた。
因みにプロでのチルデンとの対戦成績は47勝26敗である。(バインズのプロ入り時チルデンは40歳であったが)
2歳年上のフレッド・ペリーとは白熱した戦いとなり、両者が最も激しく火花を散らした1937年のプロツアーでは
35勝35敗という互角の好勝負を演じた。
バッジ、ペリー、バインズについては【ペリーvsバインズ】も参照のこと。
【チルデン】
《ビル・チルデン(Bill Tilden)》
やはり最後にチルデンに登場願わないわけにはいかないだろう。
1925年:78勝1敗(98.73%)
驚きの数字である。
チルデンには1924年-25年にかけて98連勝というドン・バッジをも更に上回る恐ろしい記録もあり、
またグランドスラムに限定しても51連勝というものがある。
更に、アマチュアとして活躍した1912年〜1930年までの19年間の総合成績というのが残っている。
1912-30年:192大会出場、138大会優勝、907勝62敗(93.60%)
決勝での敗戦はわずか28という。もはや今後誰にも抜けない大記録だろう。
チルデンはこの後にプロ入りを果たすので、これがキャリア成績の全てではない。
プロ入り後のチルデンは上述のバッジやバインズとの対戦成績でもわかるとおり
最強選手ではなくなっていたのだが、それでも大会で幾度も優勝しており、
何よりもプロ入りしたときの年齢が37歳であったことを考えれば
間違いなく史上最大の選手であったと断言できるだろう。
《プロ入り直後のチルデンと主要選手との対戦成績》
vsコジェルフ 50勝17敗(1932年)
vsニュスライン 116勝47敗(1932年のみでは32勝12敗)
コジェルフは小柄な選手で、抜群のフットワークを持っていた。
そのスピードはチルデンを驚愕させたというが、インドアを非常に苦手としていた。
50勝17敗の内訳は、インドア:26-1、グラス:2-0、ハード:3-5、クレー:19-11というものだった。
またニュスラインは、1933年にプロNo.1になってチルデンとの力関係を逆転させた選手である。
コジェルフ、ニュスラインともヨーロッパのクレーコート出身の選手で、インドアの経験がほとんどなかった。
プロツアー、特にアメリカで行われる試合の多くはインドアコートで開催されたので、
ヨーロッパの選手は慣れるまで随分苦労したようだ。
初期のプロツアーではアメリカ選手の活躍が目立つが、その辺りにも原因があるのかもしれない。
ニュスラインとコジェルフは1934年にツアーを戦っており、
この時はニュスラインの32勝17敗だった。ただしコジェルフは39歳という年齢だった。
チルデンについて、より詳細は【ビル・チルデン最強説】を参照のこと。
※【年間成績】や、
【テニス史を巡る】、
【テニス史を巡る〜補遺〜】
も要チェック!
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